母親が再婚するため「あかつき子供園」に預けられた一郎は、平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われ、立派な若旦那に成長した。しかも、“貰い子”とも思われないような親子仲の良い家庭で、両親は一郎の嫁探しで懸命であった。一郎が十九歳になった信子と再会したのは、ちょうど、このような時期であった。信子も「あかつき子供園」の出身で、一郎とは特に仲の良い子供であった。幼い頃を懐しむ二人は、子供園を訪れ、二人の親代りともいうべき先生水原園子に逢い、楽しい一時を持った。信子には酒飲みの父親恒吉がいて、信子の勤め先に現われては前借りをして行くので信子は勤め先を転々と変り、いま平塚に流れて来たということだった。毎日のように逢う二人はいつしか愛し合うようになった。しかも一郎は、信子との結婚を決意、そのことを両親に打開けた。この一郎の話は父親の怒りを買った。それを知った信子は、一郎の家庭を思い、勤め先を平塚から横浜に変え、一郎のもとを去った。一郎の悩む姿に母親は“もう一人の子供が出来たと思えばいいじやないですか”と父親をといた。そんな時「あかつき子供園」に一郎の生みの母親すえが訪ねて来た。再婚した先の家族と共にブラジル移民で出発することを告げに来たのだ。園子からこの知らせを聞いた一郎の両親は、逢うことを遠慮する一郎に“生みの親に逢いたくないなんて人間じゃない”と励まし、一郎を横浜大桟橋へ送り出してやるのだった。園子はまた横浜にいる信子にもこの事を知らせた。出発間際の桟橋で、一郎はやっと船の上から一郎を探すすえを見つけた。“一郎ッ”“お母さん”と呼び合う親子を包むテープの嵐--そこへ信子も園子先生もかけつけた。