「カンボジア ポル・ポト政権 150万人の虐殺」BSのドキュメンタリー。こちらも日本で製作したもの。日本のNHKは,世界情勢についてのドキュメンタリーがやや弱い気がしますね。今回は,ポル・ポト政権のナンバー2であった,ヌオン・チアとのインタビューが中心になっています。ポル・ポト率いるクメール・ルージュの支配していた3年8か月の間に150万人が虐殺されたと見られています。以前にもちょっと触れたキリング・フィールドがこの問題へのファースト・ステップとしては,よいでしょう。実は,この映画自体は大学の英語の授業で,見たので正確な理解をしているか不安なところがあります(そのうち,もう一度見たいと思いますが)。ポル・ポト政権の発足には,ベトナム戦争の影響があります。アメリカは,ベトナムに接するカンボジアがベトコンを支援しているとして空爆などを行い,1970年には,アメリカが関与した半傀儡政権であるロン・ヌル政権を発足させます。これに抵抗したのが,ポル・ポト率いるクメール・ルージュで,1975年4月17日にはプノンペンを陥落させます。悲劇は,その後で始まります。ポル・ポトの目指した政権は,極端な農業中心社会。プノンペンの住人を強制的に農村に移住させて,農業に従事させていきます。いわば階級差別の極みのような政策でブルジョア階級を敵視し,農村では革命後の子供は過去に触れさせるべきではないとして,家族をばらばらにするなどの方策をとります。また,反革命分子やスパイ容疑で逮捕する事態も横行し,拷問による調べを前提とする収容所を作るなどし,恐怖政治をひいていきます。ポルポトの虐殺については,まだ未解明な部分が多く,国連の特別法廷を設置することが決定しています(開催は未定)。国内のNGOであるカンボジア記録センター(DCC)が聴き取り調査を続けているとのことです。プノンペン市内のツールスレン収容所では,3年間で2万人が送り込まれ,14人だけしか生きて出られなかったそうです。どんな政治形態を取ろうと,拷問による取り調べを禁じていくこと。これが重要です。そういう意味では,適正手続の保障の重要性はいくら強調しすぎて強調しすぎることはありません。つまり,犯罪者の人権ばかりが保障されているんじゃないか,とかテロ犯に対し普通の取り調べをすべきではないなどという話は,結局自分たちに跳ね返ってきかねないことだということです。